漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2016.10.     掲載
2017.1.    注2追加
2020.8.    一部改訂

 torikokyuu.png(472 byte)という字の謎

 という字を見ると、いかにも「男」が「虎」に捕まっている様子を表したように思われる。しかし、この字には少し変わった旧字体が存在する。
 torikokyuu.png(472 byte)の旧字体(康煕字典体)である。「男」に見える部分の田の中の横画が、外に突き出しているという、見慣れない字形である。新字体のであれば、似た形の字として慮・盧・膚があるが、これらの字については新旧字体は同形である。torikokyuu.png(472 byte)だけ字体が異なるというのは何か理由があるのだろうか。

 康煕字典でtorikokyuu.png(472 byte)を調べると、「漢書・晉灼註」を引いて「生得曰torikokyuu.png(472 byte),斬首曰獲。」と記す。生きて捕えたものをtorikokyuu.png(472 byte)というわけである。字体については、「六書正譌」を引き、「生得者,則以索貫而拘之,故字从kan.png(225 byte)从力。俗从男,非。」と述べる。捕虜は索(綱)で数珠つなぎにするので、kan.png(225 byte)(カン)と力に従い、俗に男に従うとするのは間違いである、という意味であろう。kan.png(225 byte)は貫の構成要素であり、貫くという意味がある。またtorikokyuu.png(472 byte)は虍部6画に配列され、5画の田ではなく4画のkan.png(225 byte)が含まれていることを裏付けている。
torikotensyo.png(5616 byte)
「虜」小篆
rotennsyo.png(2344 byte)
「盧」小篆
hairyotensyo.png(5189 byte)
「慮」小篆
 「説文解字」では、torikokyuu.png(472 byte)kan.png(225 byte)部に属しており、「獲也。从kan.png(225 byte)从力,虍聲。」とする。先に紹介した漢書・晉灼註では、「斬首曰獲」とあるので、少し見解が違うようだ。ちなみに説文解字では獲は「獵所獲也」、つまり狩猟の獲物としており、意味がかなり離れる。
 というわけで、torikokyuu.png(472 byte)慮・盧・膚とは違ってkan.png(225 byte)を構成要素とする、というのが旧来の字書の見解であるようである。

 他の字についても簡単に見ておく。
 は説文解字で皿部に属し、声符をtoratatensyo.png(2614 byte) とすると記載されているが、この字の下部も田ではなく、縦線が上に突き抜けている。この声符は漢字としては同書でshi.png(398 byte)部に掲載され、楷書で作ればtorasi.png(489 byte)となる。の意味は「口の小さい瓶」、音はロとされている。
 は説文解字で思部に属し、小篆では思の小篆omoutensyo.png(1529 byte)に従っている。楷書で田になっている部分は、思と同様、脳髄の形と思われる。torikokyuu.png(472 byte)と同様、虍声の形声文字とされる。
 については、説文解字の字体はであり、籀文としてをあげる。字統でも、正字は声とされる。なお、この字だけ音がフであることは、「古くは(ロ)の声であったと考えられ、のち(フ)声に変じたものであろう」とされる(字統)。
 以上のとおり、あくまで説文解字の小篆(以下「説文小篆」と略す)を比較した場合、torikokyuu.png(472 byte)・盧・慮は三者三様の成り立ちを持ち、中央の「田」に見える部分も、その正体は、kan.png(225 byte)shi.png(398 byte)nouzuitensyo.png(541 byte)とそれぞれ異なっているということになる。

 ところが、そうではないとする説がある。
 白川静著「字統」では、虜・盧・慮の全てがtorata.png(344 byte)を声符としているとする。
 その根拠は、の金文にhairyokinbun.png(2489 byte)、つまり呂+心の形のものがあり、torata.png(344 byte)と呂は置き換え可能な声符であると考えられることである。また、これらの字には共通して虍が使われているが、意味のうえで関連はなく(説文解字でも部首とされていない)、音についても、説文解字ではtorikokyuu.png(472 byte)・慮は「虍聲」とされているが、白川氏はこれを否定している。となると、torata.png(344 byte)をまとめて声符としないと、虍が使われている理由を説明できない、ということがあるのかもしれない。
 しかし、これらの字でtorata.png(344 byte)がひとまとまりであるなら、そしての旧字体がtorikokyuu.png(472 byte)なら、、さらにtorata.png(344 byte)の旧字体も線が突き出したものであるはずだが、辞書にはそんな字体は載っていない。本当に白川説が正しいのだろうか。

 そこで、これら3字におけるtorata.png(344 byte)の、小篆より古い字体について考える。
 については、説文解字ではshi.png(398 byte)を構成要素とすることになるが、白川氏は「金文の盧の字をtorata.png(344 byte)に作る」と述べている(字統「虜」の項)。その字は恐らくtoratakinbun.png(2008 byte)と思われる(なぜか字統「盧」の項には掲載されていない)。甲骨文でもこれに似た字体のtoratakoukotu.png(1928 byte)が存在する。これらの字の下部が何を表したものか、白川氏も言及しておらず、残念ながら定かでない。しかし、shi.png(398 byte)の甲骨文であるsikoukotu.png(761 byte)(土器の象形のようである)と異なることは明白であり、の他の字体の甲骨文や金文でも明確にsikoukotu.png(761 byte)を含むものは見当たらない。つまり、説文小篆の根拠となるそれ以前の字体が見つからないということである。白川氏は「ではtorata.png(344 byte)が声符であり、torata.png(344 byte)torasi.png(489 byte)と同じであろう」という(字統「盧」の項)。すなわち、toratakinbun.png(2008 byte)と、下半部がsikoukotu.png(761 byte)の文字が同じだと言っていることになるが、その根拠も不明である。
 の金文・甲骨文には、他にも異体のものがいくつも存在するので、古くはsikoukotu.png(761 byte)を含むものもあったのかもしれない。こうしたいくつもの字体が、最終的には楷書でと書く字に統合されたと考えざるを得ない。

 の金文にhairyokinbun.png(2489 byte)があるのは白川説のとおりである。また、秦系簡牘文字(睡虎地秦簡)ではhairyosuikoti.png(1435 byte) の字体が見られ、田の部分は脳髄の形ではない。しかし「伝抄古文字編」1)(汗簡)にはhairyodennsyou.png(2207 byte)の字体も見られ、これは思に従う。筆者にはこの文字が虍声かどうかの判断はできないが、もしそうではないということが証明されるなら、秦系の文字が金文 と同列のものということになるだろう。しかしその場合、hairyokinbun.png(2489 byte)からhairyosuikoti.png(1435 byte) に声符が置き換わったうえで、この字の下半部を(omoutensyo.png(1529 byte)とは異なるにもかかわらず)「思」という字と誤解して、小篆や伝抄古文字の字体ができたということになるが、そんなことがありうるだろうか。あるいは、憶測にすぎないが、許慎の時代に既にこの字の小篆は失われていて、やむなく隷書のの字から、「田」と「心」を合わせて「思」だと考えて、小篆を作り出した、ということがあったのかもしれない。

 torikokyuu.png(472 byte)について、字統には「説文に篆文を男の形に従い、その頭に索をまいた形とするものであろうが」とあるが、説文解字では明確にkan.png(225 byte)と力に従うと言っており、kan.png(225 byte)の部分を男の頭と考えたとする推測がどこから出てきたものか不審である。また、torata.png(344 byte)torikokyuu.png(472 byte)の声符だとすると、力だけが意符であることになり、これがどう「とりこ」の意味とつながるのかという疑問も残る。
 白川氏は続けて「古い字形がなくて確かめがたい」と書いているが、白川氏の死去の数か月前に発行された「伝抄古文字編」には、torikodennsyou.png(2822 byte)の字体(汗簡)が掲載されており、田の部分は丸く、男otokodennsyou.png(2116 byte) と同形である。これは、「torikokyuu.png(472 byte)の声符はtorata.png(344 byte)である」という説を後押しする材料になるかもしれないが、「男に従い虍声」という説にも力を与えるだろう。
torikosokann.png(3734 byte)
「虜」楚系簡帛文字
 一方、戦国時代の楚系簡帛文字には、kan.png(225 byte)に従うように見える字も存在する(包山竹簡 2.19)。
 もしかするとこれが小篆の字体につながっていったのかもしれないが、肝心の秦の文書で、小篆以外にkan.png(225 byte)に従うものは、今のところ見当たらないようだ。

 結局、白川説の当否を筆者ごときが定めることはできない、というしごく当然の結果となったが、この調査の過程で、kan.png(225 byte)に従うtorikokyuu.png(472 byte)の字は、「非主流派」だったのではないかという疑問が膨らんできた。
syuuin.jpg(3922 byte)
「虜」集韻
 前述の伝抄古文字に加え、漢以降の金石文等の書蹟を調べてみると、ほとんどの字の中央部は左右への突出しがない形で書かれている(「大書源」によれば、30例中、突出するものは説文篆文と明・王鐸の書の2例のみ)。加えて、筆者が見ることができた「集韻」(1706年揚州使院版)の字体も、kan.png(225 byte)に従ってはいない。torikokyuu.png(472 byte)の字体は、康煕字典が編纂されるまでは、説文解字以後の長い歴史を通して、影の薄い存在だったようである。
 つまり、説文小篆以前にkan.png(225 byte)に従う字は楚の竹簡以外に見当たらず、説文解字の発行以後も田の形に作られた字がもっぱら使用された。ところが康煕字典編纂時には説文小篆が尊重されたため、これを楷書化したものが親字として採用された。このため日本でも旧字体はtorikokyuu.png(472 byte)となった、ということであろう。2)
 ではなぜ説文小篆のtorikokyuu.png(472 byte)kan.png(225 byte)に従うのか。秦代の小篆が、秦の字体を差し置いて遠い楚の字体を採用したとは考えにくい。今後発掘が進めば、秦の簡牘文字等にkan.png(225 byte)に従うものが見つかるかもしれない。

 ちなみに、現代では、中国では簡体字「torikokanntai.png(457 byte)」が用いられており、その繁体字として、辞書によりtorikokyuu.png(472 byte)が両用されている。台湾ではtorikokyuu.png(472 byte)が主流のようである3)
 日本では、は常用漢字でJIS第1水準の字であるが、このコードにtorikokyuu.png(472 byte)も包摂されており、繁体字系フォント(jhengheiなど)や韓国系フォント(batangなど)ではtorikokyuu.png(472 byte)が表示される。他のフォントでtorikokyuu.png(472 byte)が必要なときは、第3水準の字を使えるが、IME2010では「環境依存文字」となっている。
 日本でこの字の新字体をとしたときに、どのような議論があったのか、調べてみたいと思う。

【2020.8.10.追記】本稿掲載後、筆者のユニコードに関する認識に誤りがあることが分かりましたので、改訂を加えました。旧稿をお読みいただいた方々にお詫びいたします。


注1)徐在國 編著、線装書局出版、2006年。字体は「漢字古今字資料庫」より入手。「伝抄古文字」とは、伝世された字書の字体を主とし、碑文や墓誌の資料も含む。時代的には漢代から金代のものという。「汗簡」は北宋初期の郭忠恕の著書。     戻る

注2)戦前の出版物でも、虜の字体を使っているものもある。一例として、博文館・帝国文庫の「校訂 源平盛衰記」(1896年〈明治29年〉第6版発行)986ページの見出しには「torikokyuu.png(472 byte)」(「いけどり」と振り仮名)とあるが、本文の中では「虜」を使っている。     戻る

注3)台湾の新聞「中國時報」の電子版である「中時電子報」サイトを検索したところ、「torikokyuu.png(472 byte)」のコードでも「虜」でも同じ文字がヒットし、表示される字体は「torikokyuu.png(472 byte)」である。      戻る


参考・引用資料

説文解字  後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

大書源  二玄社 2007年

画像引用元(特記なきもの)

甲骨文、金文、戦国文字、小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

JIS第1・第2水準以外の漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)

集韻 1706年揚州使院版  早稲田大学学術情報検索システム